成熟社会の経営について―南方司



※inflorescencia=inf.  南方司氏=南方  八田真行氏=mhatta  中川譲氏=未識

フィクションとしての評価

南方 なんか皆、こう・・・どうであるというイデオロギーというか、内心の問題のように捉えがち?成果主義の問題にしても、本当にMBAで経営が学べるのかとか、ガースナーは良かった、けど、ゴーンは本当にあれで良かったのか、とかって話になりがちだけど、実は起こっていることの根っこにあるのは、なんかもっと経済的基礎条件に引っ張られていて・・・成熟経済のなかではOJTで引っ張り上げてく仕組みがうまく機能しなくなって、マネージャーとして経験を積み上げていくような、別のパスを作らなきゃいけなくなったりだとか。たぶんそういうことのような気が、僕はする。してるんですけど・・・。

未識 結局・・・ちょっと評価という話も出ていて、さっきからずっと良い悪いというのは一体何なんだろうという、大きな問題がずっと引っかかっているんですけど。評価、というのは結局ものすごく多様化していくというか。多様化してるけど、なにかこう・・・なんか上にきているものが遍くやっぱり良いって評価されるみたいな。細かいものについての評価なんだけど、全体的に認められるというか、そういう評価が必要なんじゃないかというように聞こえてきたんですけど。

南方 うーん。だから評価っていうのは・・・。

未識 専門分野についての評価で、他の人が見るとよくわかんないんだけど、「ああ、これって良いものなんだ」みたいな評価っていうのは?

南方 うん、だから評価っていうのは・・・うーん。評価の目標ってなにかっていうと、評価が評価として機能しているかのように見えることによって、より多くの人がモチベーションを失わないことなんですよ。

未識 ええ。

南方 だから正しい評価をすることによって正しい人が偉くなるという問題ではそもそもなくって。評価そのものが、僕はやっぱフィクションだと思うし。

inf. ああー。なるほど。

南方 それはなんか、その。最もモダーンな・・・モダーンな雇用制度を持ってるような。アメリカ型の評価主義の帰結が何かっていうと、上司とよしなにやれて役員から目をかけられてる奴が、偉くなると。別にフェアでも何でもないと思うけど。それはなんか・・・人間の集まった組織の宿命でっていう。だいたいこう・・・MBAの人たちっていうのは、こう・・・スコアカードっていうのは結局、数字の作り方を変えて、その数字を追っかけさせることによって、どう結論がかわるかっていう。そういうことをやるわけですよ。それが自分の成績になる。

inf. はい。

南方 そうするとこう・・・このスコアを作った年はあんまり高くなくて、3年間で予定調和的に上がっていくというようなスコアを考える。

未識 なるほど。

南方 この通りになれば、確かに、まあ思った通りにやったのかもしれない。で、何が難しいかっていうと、その、在任期間とサイドエフェクトというのがあって。つまり、ゴーンなんかがね、あのV字回復が何だったかっていうと、在任中に新車の投入時期を集めただけなんですよ。

inf. ああー。

南方 それをやって、浮上する販売というのでもって、数字が良くなったって定義してるから、彼がいなくなった瞬間数字が落ちたっていうのは、指導力があったからじゃなくって。

未識 あー。

南方 先食いしたからなの、結局。で、常に評価の問題っていうのは、次のステップに行くまでの間に、ボロが出ないなかで、いかに先食いするかっていう。

inf. うーん。

未識 うーん。なるほどね。

南方 で、それを防ぐためには、その、逆に日本的な・・・なんていうんだろう。皆が見てて、世間みたいなものがあって、そういう見え透いたことをやるとなんかばかにされるような世界っていうのは意外と機能していたわけだけれども。・・・雇用が流動化していくっていうことがどういうことかというと、流動化するのは、上の10%の人だけなんですよ。昔の終身雇用だって、実は上の何割かの話でしかなかった訳ですが。

未識 なーるほどー。





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