共有地としての言葉―仲俣暁生



※inflorescencia=inf.  仲俣暁生氏=仲俣 ced氏に関しては雑記帳をご覧ください。



ブログは「引用の束」

仲俣 質問の四つ目に行きましょうか。えーと、「ネットにおける情報の公知手段として、とりあえずばら撒いておけば、見てくれる人は見てくれるだろう、というモデルが存在する。このモデルは日本で通用するだろうか」。もう少し説明してくれますか?

inf. これで想定しているのは、クリエイティブコモンズのレッシグ先生が提唱というか想定している世界観で。とりあえずCCをつけていろんな人に見てもらえるようにすれば、きっと誰かが見てくれるし、きっと「これは良い」と思ったら紹介してくれるだろうと。そうやって広まっていくだろうというのがあって。こういうモデルは……?

仲俣 出版モデルとして、っていうことかな。それとも別に出版に限らず?

inf. 出版に限らず、ですね。エディターシップというか……エディターとしてどう思うかというような。

仲俣 基本的には成り立つと思います。出版の世界に限らなければ、インターネット上で無料でソフトウェアを提供するというのは以前からあったことで、たとえばWWWブラウザの世界でも起きたことでしょう。先行した「ネットスケープ・ナヴィゲーター」に対抗するため、マイクロソフトも「インターネット・エクスプローラ」を無料で配るしかなかったわけで、おかげで「WWWブラウザはタダ」という考え方が当たり前になったのは、冷静に考えてみたらけっこうすごいことですよね。しかも、そうやって無料のソフト同士がせめぎ合うなかから、利用者によって良いと認められたものが結果的に残っていった。そういう、デファクトスタンダード的なアプローチは当然、出版においてもありうると思うんです。
 ただ、デファクトスタンダードって言った場合には、それがその世界で唯一の優勢な存在になってしまう。「いろいろあるけど、こういうのもありだよね」っていう、価値の多様性や複雑さを同時にネット上に残していくためには、デファクトスタンダード的なものとは別の考え方を導入するしかない。その点で、ネット上の無料配信モデルが、どんな場合でも有効だといえるかどうかは、まだちょっとわからないです。

inf. はい。

仲俣 例えば……、紙の本をタダでばら撒くっていうのは今のところ、広告を掲載できない書籍ではできないですけど、雑誌ならばすでにモデルがある。ようするに『R25』ですが、あれはタダで配っても広告収入で担保できる。読まれずに捨てられようが、とりあえずあちこちに置いてある、ということ自体によって存在をアピールできるし、しかもたまたま読んでみたら、「まあまあ面白いな」っていうので十分なんですね。
 それと同じようなことが、ネット上で可能かというと、まだちょっとわからないですけど、ただ僕の感覚で言うと、雑誌や本で文章を書いてるプロの人がネット上でも書いていると、それらに対して読者のほうが構えというか、著作権があるから、とか、勝手に使っちゃいけないんじゃないかとか、そういう怯えにも似たものがまだあると思うんです。モラリスティックに「著作権侵害だ!」とかうるさく言う人もいるんで、そういうときに無駄な論争を省くためにも、「この文章はどう使ってもいいよ」という風に、立場をはっきりさせたものがネット上にいろいろあるといいな、と思うんです。
 ネット上でテキストを書けば、つっこまれるかもしれないし、叩かれるかもしれない。逆に、すごくいいと評価してくれるかもしれない。でも、音楽や映像と違って、テキストっていうのは、よほどのものでないと、そんなに二次利用できるものでもないでしょう。翻訳のような場合は、よりよい訳に直してくれるということもあるだろうけど、そういう風に、テキストが二次利用されて流通してくっていうことは、これまで紙の世界ではあんまりなかったと思うんです。  学者の世界の場合は、ひとの論文を引用するのは当たり前だし、評論や書評でも引用されるけど、ごく普通の人にとっては、本を引用するって経験はほとんどなかったと思うんです。

inf. なかった。確かにありませんでしたね。

仲俣 でも、本の一部をちょっと引用したり、場合によっては翻訳にちょっと手を加えることで、もとのテキストのもってたポテンシャルが高まって、社会的により有用に使われるということはありうるわけで、そういうことというのは、インターネット以前にはあんまりなかったことだと思います。もちろん、マンガの場合は同人誌があるけれど、小説のテキストを小説としてパロディにしたようなものというのは、マンガほどはなかったんだと思うんですよ。
 だから、いまネット上でテキストでの流通に関していえば、それがいいことか悪いことかについて論争はあるのかもしれないけれど、少なくとも、分量さえ気をつければ、引用するのもダメってことはもうないわけですよ。

inf. はい。

仲俣 ブログは「引用の束」でしょう。意識してバラ撒かなくても、公開の「場」に出してけば勝手にリンクやトラックバックされて、引用し、引用されあうことになる。それによって見てくれる人は見てくれるだろうっていう、いまの質問にあったようなモデルに、すでになっている。そうすると、次のフェーズはネットに公開されていないテキスト、つまり紙の本のコンテンツということになる。僕はもっと、みんな紙の本からの引用をした方がいいんじゃないかと思うんです。

inf. そうですね。

ced ネットの世界と書籍の世界を媒介する何かっていうのが無いですし。

仲俣 著作権保護期間中の本のデータをネットで公開することには、いわゆる「電子出版」による有料配信でさえ、出版社がまだ及び腰ですからね。

inf. 書籍の文をコピペできれば、本当に楽なのになあっていつも思うんですけど(笑)

仲俣 まあ、そこまで簡単になっちゃうと安易すぎるから、引用するときはせめて原著から手で書き写すくらいはしろと言いたいですが(笑)。

inf. すみません(笑)でもGoogle Scholarには、怠け心とは違った意味で注目しています。

仲俣 あとはアマゾンの「なか見検索」ですね。いずれ遠からぬ未来に、紙の本の多くは――ベストセラーが先か、学術書みたいな売れない本が先になるかわからないけど――ネット上と紙の両方が同時に存在する、というモデルになると思います。でもたぶん、このことは、必ずしも紙の本の価値を下げないんですよ。

inf. そうですね。山形浩生さんとかはもう既に実行していらっしゃいますね。

仲俣 著者の側ではやっている人もいますよね。嫌がってるのは出版社です。著者の側では、自著をアマゾンの「なか見検索」に出したい、という人はかなり多いと思いますよ。  その一方で、ある程度まで複雑な構造をもったテキストの流通手段としては、「紙の本をだれかが作って売って、多くの人が読む」というやり方は、まだいちばん有効であることもたしかでしょう。そのことと、これまでの出版産業のビジネスモデルが今後も有効であるかどうかは、また別の話ですが。

inf. なるほど。



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