共有地としての言葉―仲俣暁生



※inflorescencia=inf.  仲俣暁生氏=仲俣 ced氏に関しては雑記帳をご覧ください。



エディターシップの3要素

inf. えー。そうですね……なんか種明かしじゃないんですけど、実はこの質問全体を通してお聞きしたかったのは……私はエディターシップというのは3つの要素があると思っていて。まずはいろんな情報がいっぱいあるなかでどう情報を選ぶのか、抽出するのかという部分。そしてその情報をどんなふうに配列するのかという部分。だから選び出して、その上で配列すなわちアレンジして、さらにそれをどんなふうにパッケージングするのかというのが3つめ。配列をさらに繋げるということですね、全然関係のない配列を。そういう作業があると思っていて。で、エディターシップと言ったときにそれらはごっちゃにされているけれど、じゃあ本として、本とか出版業界が担うエディターシップとネット上で担われるようなエディターシップというのは、もしかしたら差があるのかもしれない。むしろ差異化すべきなのではないかという考えがあって……。

仲俣 そうかもしれません。

inf. じゃあどこで差異化して、どこの方が本が有利で、どこの方がネットが有利なのかということをお聞きしたくて。この質問を考えたんですが……。

仲俣 ああ、なるほど。それでよくわかりました。5番目の質問でいうと、「菊池寛」云々は別として、編集者がやってきたことっていうのは、いま仰った……。

inf. 抽出と配列と、あとパッケージングですね。

仲俣 そう、編集者の仕事はまず「選ぶ」ことですね。著者を選ぶ、あるいは原稿を選ぶ。とにかく、たくさんあるものの中から、これというものを選ぶ。もちろん選んだだけでは本にならないので、つぎにそれを「配列」していく。配列しただけでは商品にならないから、売り物になるように「パッケージ」化していく……と考えると、その通りだと思います。

inf. はい。

仲俣 でも、これまではやっぱり「本」という物理的なメディアの限界があった。たとえば原稿は単行本にするなら何枚まで、という量の問題もあったし、刊行サイクルという時間的な問題もあった。あと、一応パッケージングをする以上、「本」というのはひとりで全部読むっていう建前になる……なんというか、定食が出たら全部食べなきゃいけない、という(笑)

inf. はは!

仲俣 逆に言うと、パッケージすることによって、自分でも食べきれるかも、という幻想を与えられる。

inf. ちょっと美味しくなくても食べてみようか、みたいな。

仲俣 本一冊買ったら、最初から最後まで全部読まなきゃいけないんじゃないか、とか、雑誌を買ったら、まあ普通の人は雑誌をスミからスミまでなんて読まないですけど、読まなきゃいけない、と思う人もなかにはいるかもしれない。でも、そういうパッケージが与える幻想のようなものが、インターネットにおいてはその必要性がなくなってしまった。パッケージがなくなったのに、無理にパッケージしようとしているのが、いわゆる「電子書籍」でしょう。でも、それはやっぱりうまくいかない。というのも、「配列」という行為が、すでにネットで行われているからです。

inf. はい。

仲俣 ただ、インターネットのようにパッケージという制約のないところでは、いかようにでも配列しなおせる。この人はこういう風に配列をしたるけど、別の人がそれを一回ばらして、また別の配列で見せることもできる。たとえばソーシャル・ブックマークなんていうのも、そのひとつの仕組みだろうし。

inf. 2ちゃんねるのまとめサイトなんてその最たるものですよね。

仲俣 もっといえば、検索エンジンの検索結果だってそうです。

inf. あー。なるほど。

仲俣 編集という仕事のその部分は、ある意味で技術的にすでに代行可能になっている。少なくとも、技術的になされた配列と、人力による配列とを比べることができるようになってしまった。
 インターネットでは、編集のうちの「抽出」、ぼくの言葉でいうと「選ぶ」行為は、とりあえず全部場に出してばら撒いていく方式、つまり、べつに抽出しなくていいじゃないっていうか、ということに向かっている。デットストックにしておくよりは、検索エンジンも性能がよくなったから、とにかく場に出して反応を見ようよ、というようになってると思うんです。

inf. はい。



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