共有地としての言葉―仲俣暁生



※inflorescencia=inf.  仲俣暁生氏=仲俣 ced氏に関しては雑記帳をご覧ください。



サイバー・カスケードとフリーペーパー

仲俣 ただ、大きな出版社は、書籍を作って売るだけではやっていけないんですよ。雑誌の広告でもってるところが多いから、書籍とインターネットだけが残って、真ん中の雑誌が消えていくと、出版社はビジネスモデルを再構築するのが、ものすごく難しい。

inf. Sunsteinの議論をロージナ茶会でしたときに出てきた話題なんですが。

仲俣 ええ。

inf. サイバー・カスケードという問題がありますよね。皆タコツボ化していくと、どんどん自分たちの似たり寄ったりな意見のなかで、その反響だけを、同じ意見を聞いているから、思い込みが激しくなってしまう。それはネットで顕在化しやすい問題なんじゃないかという議論があって。そういう話をしたときに、茶会員の一人の方が「いや、だって皆ネットだけ見てるわけじゃないよね。雑誌だって新聞だって読んでるじゃないか」と指摘されました。そうするとノイズのような、聞きたくなくて関心のないことも必ず入ってくるわけだし、検索エンジンとかでも予期しない出会いというか……。

仲俣 「誤配」が起きる。

inf. そうです、誤配ですね。誤配が起きるから大丈夫だという意見がありました。あったんですが、もし仮にこの状態が続けば雑誌って皆読まなくなっちゃうし、新聞だってもしかしたらそうかもしれないですよね。そういう意味では雑誌のもつ雑多さ、というものの可能性を『季刊・本とコンピュータ』にあった「編集楽日」のやりとりで気付きまして。

仲俣 はいはい。

inf. 雑誌のもつ雑多さを、それをきちんと強調していかないといけないところなのではないかと。

仲俣 たぶん、そこで必要なのはエディターシップとは違うものでしょうね。

inf. そう、ノイズというか……。

仲俣 ノイズを発生させるような編集というのは、これまで、やや低きにおかれていたと思うんですよ。やっぱり、基本的にエディターシップといったときには、ある主義主張があって、論壇誌でもやはり主筆のような人がいて……。

inf. そうですね。単線的に進んでいくものがわりと良いものだと思われがちだけど、でも実はそうじゃなくて、雑多性を持たせた方が可能性としてはあるのだと思います。

仲俣 そうなると、どこまでのノイズを許容するか。ある程度「フィルター」は通すんだけど、それは、飲めないようなゴミはとる、という程度にしておくのかもしれないですね。
 『文藝春秋』などは昔からそうですけど、大きな論説記事とかカバー記事じゃなくて、むしろ無署名コラムだとか編集後記とかの、小ネタの細かいところが好きで、雑誌のファンは雑誌を読んでいたんですよ。そうやって作り手との関係を楽しみながら、同時に大論文も読むわけです。欄外コラムとか編集後記とか、読者投稿だとか、そういうすごく周辺的な小さな記事というのは新人編集者が最初に任されるところだけど、インターネットは、ほとんどそれだけでできている世界でしょう(笑)。

inf. はい。

仲俣 このところの新書や雑誌を見ていると、ナショナリズムとか国家の問題に、どの出版社も相乗り状態になっている。「品格」っていう言葉も、消費しつくされるまで使われるんだと思いますが、逆にそういうところに変なノイズや夾雑物をまぜていくことも、編集者の仕事でしょ。紙の出版をやっている人は、今こそそれをやるべきだと思います。

inf. それに期待されるんじゃないかと。「R25」のコンセプトとしてきっと雑多さがある。読んで10分くらいで、皆で話せるようなサッカーの話題や政治の話題、映画の話も新製品の話題もわかる。そういうものをちょこちょこと拾っていくというのは、自分でやると面倒です。だから雑多さを期待されて「R25」が読まれている。

仲俣 そうかもしれない。

inf. だから雑誌に期待されるのはそういう雑多さなのではないかと。いろんなものを気安く、ひゅーっと読める。しかもそこそこ面白い。わりと心地よいノリで消費できる。

仲俣 このあいだ、初めてフリーペーパーになった『早稲田文学』、『WB』を初めて見たんですよ。

inf. え!? 『早稲田文学』ってフリーペーパーになってたんだ!

仲俣 去年から、フリーペーパーになったんです。試験的な試みだそうですが。

inf. へえー。

仲俣 いろいろな事情があるようで、またこれまでの文芸誌のかたちに戻るようですけど、いったんフリーペーパーにしてタダでばら撒いたほうが、文芸誌として値段をつけて売っていたときよりも、確率論的には、誰かが見てくれる可能性が高まるかもしれない。でも、同じフリーペーパーでも、『WB』は『R25』と比べるとやっぱり文章も長いし、なんというか……エディターシップがあるわけですよ(笑)。

inf. なるほど。

仲俣 でも、逆の考え方もありなんですね。そっくり『R25』みたいなかたちで『WB25』があってもいいし、アカデミズム雑誌だってあの形でできないことはないわけで、それこそ、雑誌はすべて『R25』風になるのかもしれない。

inf. あはは!

仲俣 出版産業のなかで起きていることでは新書の創刊ラッシュに興味があるけど、出版社の外を見ると、面白いのはフリーペーパーと、あとは新古書店の問題ですね。新古書店に売ることを考えると、本は綺麗にとっておくから、誰も書き込みをしなくなる。だから逆に、書き込みされた本ばかりを扱う新古書店っていうのがあってもいいかも(笑)。

inf. 面白いですね。

仲俣 新古書店に「書き込みあり本」のコーナーを作って、そこにはいろんな人が欄外に書き込みをした『国家の品格』や『美しい国』や『ウェブ進化論』がいっぱい置いてある。そこにある本は全部10円…・・・いや、タダでも良いよね(笑)。そういうことをやる書店員がいたら、その人はもう編集者です。

inf. そうですね。

ced Sunsteinが『インターネットは民主主義の敵か』の中でデイリーミーという話をしていて、ネット上でものを見ていると、どんどんどんどん自分の興味のあるものしか見なくなるという。今日の話を聞いていると、書籍とかに必要とされているものってエディターシップとは逆のものなんだと。

inf. 普段想定されているエディターシップとは逆のものが、今後必要とされているということですよね。

仲俣 情報が少ない時代と、情報があまりに増えてしまった時代とでは、編集に求められる役割は、ちがってくるはずです。

inf. なるほど。ええ。

ced 経済学で希少性が前提じゃなくなったとき……。

仲俣 最近は、自分でも雑誌を作りたいと思わなくなっていて、もっと大きな仕組みを考える方に興味が移っている。紙でもインターネットでも、コンテンツじゃなくて、仕組み自体が何を起こすかってことに興味がある。たとえばブックオフっていうのは、書店というより、ひとつのメディアですよね。下北沢にも「DORAMA」という新古書店がありますけど、この店は下北沢という街に住んでいる人をすごく反映しちゃうんですよ。

inf. あー。わかりますね、それは。

仲俣 不思議なことに、新古書店の棚が、だんだん自分の本棚に似てくるんです(笑)

inf. はは(笑)

仲俣 それはちょっと気持ち悪いことでもあるんだけど、それもふくめて面白い。

inf. ブックオフの地域性ってありますよね。誰かやらないかな、地域性研究・・・・・・。



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