共有地としての言葉―仲俣暁生



※inflorescencia=inf.  仲俣暁生氏=仲俣 ced氏に関しては雑記帳をご覧ください。



新書最終戦争

仲俣 そのかわりに、今日ちょっと話題にしたいと思ったのは新書のことなんです。いまってすごい新書ブームですよね?

inf. はい。

仲俣 去年の6月10日に『季刊・本とコンピュータ』の最終号がでて、その後一年間、一読者として出版界を見ていて思ったのは、ついに出版界は来るところまで来た、と。とくに書籍の方ね、雑誌じゃなくて。

inf. ほう。

仲俣 いわば「新書最終戦争」。新書がここまで増えて……まだ出てくるんですから。朝日新書(朝日新聞社)に幻冬舎新書。マイコム新書も出て、すでにソフトバンク新書も出てて。いまや出版社にとって、新書をやらない理由はない、っていうくらいになっている。ほとんどすべての大手出版社が新書を出てしてきてる。たぶん電子化って問題を脇に置いたら、おそらく新刊書籍に関しては、新書っていうのが「最終兵器」なんじゃないかな。

inf. なぜ最終兵器たりえるのでしょうか?

仲俣 原理的に本として成り立つ要件をギリギリまで切りつめたときに、最小限度でそれを満たしているものが新書だからってことでしょうね。

inf. はあー。

仲俣 新書がいまよりもっと薄くなることはあるかもしれないけれど、400字詰めで200枚から250枚、定価が700円から800円で、書き下ろし。しかもテーマはなるべく時事的な、いま現在の……ようするに1年後とかじゃなくて、できれば本当に、いま現在から半年後くらいの間に消費されても構わないテーマ。で、書くのがほとんど2ヶ月くらいとか(笑)。

inf. なるほど。

仲俣 だいたい今の新書って、岩波中公とかの昔の新書と全然違いますから。勝手に「新・新書」とぼくは呼んでるんだけど。新書の雑誌化というのは前から言われているけど、ようするに、教養主義の放棄ですね。老舗の中公は「ラクレ」っていう新書のセカンドラインを出しているし、岩波はアクティブ新書でこけた(笑)。
 でも、そういう「新・新書」みたいなものが新刊単行本の基本的なスタイルで良いじゃない、っていう合意が出版社側でできちゃうと、基本的に「新書」という形式をとらない本は、新書で出すほど売れない本とか、もっと原稿の量が多い本とかっていうぐらいで、それ以外に区別のしようがなくなる。あるいはどうしても装丁を革装にしたいとか……さすがに革装はないか……上製本(ハードカバー)かそうでないか、とかそのくらいしかなくなる。判が大きいか小さいか、ハードカバーかソフトカバーかは、本の内容とはあんまり意味なくて。あれは出版社にとって都合の良い値段をつける理由でしかないから。

inf. ははは!へー。

仲俣 さすがに6000円の値段つけるなら、新書じゃまずいでしょう、やっぱり。

inf. ええ。

仲俣 みすず書房なら、文字数は少なくても4800円とかつけられるわけですよ。

inf. かっちりと(笑)

仲俣 出すわけです(笑)。だけど、そういう本だって、形は別にペーパーバックだっていいじゃないか、と。デリダの本が新書で出たって良いし。だからいま言ったのは刊行形態……ようするに工業製品として出版物を考えたら、たぶんいま、いちばん効率的に短期間にどんどん出すシステムが「新書」になっていて。その先はたぶん、今回のインタビューみたいに、電子メディアでやった方が早くなっちゃうんですよ。

inf. ああー。





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