共有地としての言葉―仲俣暁生



※inflorescencia=inf.  仲俣暁生氏=仲俣 ced氏に関しては雑記帳をご覧ください。



公共的な言説の器

仲俣 えーっと、これで質問のどこまで答えたんだっけ。2番の……「webなどで同調圧力は高まり、ベストセラーは出やすくなったと言われる。この傾向は今後も続くだろうか?このことが出版に与える影響をどう考えるか?」。ここまでは行けたのかな。

inf. そうですねー。じゃあ3番「ネットは結局mixiといった私的空間に収斂していくだろうとの予測がある。この説をどう思うか?この説に比して書籍のもつ公共性をどのように定義するか?」にちょっと入ります。

仲俣 3の問いの意図を、もう少し説明してくれませんか。

inf. そうですね。……これを言ってるのは東浩紀先生で。isedの議論の結局の結論は、まあなんか……ネットで公共性が高まるとかいう議論があったけど、いや、そんなのは全然嘘で、結局皆、縄張りみたいな……ムラとして固まっていって、そのムラの中でどう統治していくかというかどういう風に……。

仲俣 結局、いろんなロングテールなムラが出来てくる、と(笑)。

inf. で、どういう風になっていくのかなっていうのが、結局のところのisedの議論だったのですけど。

仲俣 んー、もう少しつづけてください。

inf. で、それに対して、あのやっぱり『〈ことば〉の仕事』では、書籍が持つ公共性っていうのを結構強調しているという部分を……そういう部分を読み取ったので。

仲俣 はいはい。

inf. で、ネットがムラ化していくなら、じゃあ公共性は書籍で担保していくものなのか。それとも、なんかこう……うん。ネットが私的空間に収斂していくというのに対してどういう風に……。

仲俣 なるほど、よくわかりました。えっーと、まずインターネットが最初はフロンティアだった、という話でいくと、それこそアメリカでは90年代にEFF(エレクトロニック・フロンティア財団)のジョン・ペリー・バーロウ「サイバースペースの独立宣言」みたいなことを言っていて、ネットがある種の手付かずのフロンティア空間として見なされていた。その空間をわれわれが共有して、ある種の民主主義なり公共の世界を作ろうっていう楽観主義みたいのが、アメリカではあったわけです。まさにアメリカらしい考え方ですね。
 でもインターネットも日本に来れば、当然日本化していく。土着化あるいは大衆化の過程で、普通の日本人の一般的な振る舞いが当然反映されるから。mixiっていうのはまさに、そういう意味で日本人にはベストマッチだった例でしょう。だって、会社のパソコンでOLが平気でmixi開いている。遠くから見ても、あのオレンジ色の画面はmixiだ、ってわかるのに、それでも平気でやってるっていう。

inf. 大学でもそうですよ(笑)大学のPCルームが一面mixiオレンジになってますもん。

仲俣 あの傾向は、ある意味ではネットが特別な空間じゃなくなって、日常空間、日常生活とほぼ同じような比率の分野によって占められたことの象徴で、これは基本的に良いことだと僕は思うんですね。だからそれは……mixiが私的空間かどうかはちょっと簡単には言えないけど、ただその……完全なパブリックな空間ではないことは確かですよね。

inf. そうですね。

仲俣 パブリックというのが開かれた状態を意味するとすれば、mixiはパブリックな場ではない。理由は単純で、検索でひっかからないし、向こうからリンクを張られたときに、こちらから見ようとしても、IDパスワードで保護されていて読めない。そういう空間であるという意味で「私的」って言うんだったら正確だろうけど、でもそういう私的な空間が無ければ公共的な言説もありえない、っていう原則から言うと、べつにそういう空間があって良いと思うんですね。

inf. なるほど。

仲俣 で、僕があの本でむしろ言いたかったのは本というよりは「言葉」というってことで。「言葉」の器としての本であり、場合によってはネットなんですけれども。じゃあそこに公共性があるかないかっていうことを僕らが議論するときに、大塚英志さんの言い方がわりとわかりやすいけど、彼はやっぱり公共性の根拠は言葉だっていう……公共性の拠って立つところは最後は言葉でしょう、っていうことになるんだけど、彼の場合は言葉が伝えうるメッセージのほうに足場を置いている。戦後民主主義っていうのはそれですね。でも僕は「メッセージ」としての言葉じゃなくて、そういうものも含めて、いろいろなものを収められる「言葉」というメディアそれ自体について書いたつもりなんです。それはようするに、言葉以外に公共性を担保できるメディアがまだない、ってことに尽きるんですよ。小熊英二さんが言っているように、ドキュメンタリー映画の映像でもべつにかまわない。

inf. うーん。なかなか難しいですね。

仲俣 ほかにそれがない以上、言葉を使うしかないんだけど、そのときの言葉の使い方は、それほど単純じゃないよね、っていうことが、今度の本で言いたかったことなんですけど。

inf. はい。

仲俣 その複雑さは、本というメディアだとまだ載せやすい。ネットにはそういう複雑さや構造を持った論理や、論理以外も含めたテクストっていうのは、まだまだ載せにくいんです。そういう意味でいうと「本」というメディアが持つ公共性っていうのも、二次的にはあると思う。
 だいたい、mixiみたいな私的な空間に収斂していく、タコツボ化していくメディアと本は同じか違うかって言ったら、本はもっとずっと早い段階からタコツボ化しているわけでしょ(笑)。

inf. なるほど。

仲俣 だから、mixiみたいにタコツボ化したからダメだっていうこととは、公共性云々という話とイコールじゃないですね。だったらmixiのコミュがあとからちゃんと本になってくれれば良いわけだし。

inf. あー。なるほど。

仲俣 ごちゃごちゃと言ってましたけど結論としてはこうですって、何かが最後に出てくるんだったら良いんだけど、結局アウトプットがない世界でしょう、mixiって。





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